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歌といふ小さなトンボ追いかけて六十九となりにけるかな 高野公彦
この歌は「流木」と言う高野公彦さんの歌集に収められています。高野さんはこの歌集で
第66回読売文学賞を受賞されました。
昭和38年朝日花壇の投稿をきっかけとして歌を作り始められたそうです。
「流木」はコスモスと言う宮柊二さんの結社に入会されて50年目の歌集だという事です。
私は短歌と言う31文字の魅力に捕えられてまだ10年そこそこですが、
もう年齢は69歳になってしまいました。
でも、小さいトンボを追いかける気持ちは良く解ります。
しかしながら、この歳で、まして、新しい歌の流れの中で果たして追いかける事が出来るのか、
大きな不安を抱えながら日々を過ごしています。
まして、斬新な言葉の表現方法よりも誰にでも解り、その上で歌の元になる心の部分を問いかけたい
そんな欲張りな婆さんなのです。
最近の一首
「さすけねえ」と会津の友は呟きつつ自慢の柿をたたき落としぬ
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半年振りのブログ投稿です。
この半年の間に生活の形が大分変わりました。
第一に今まで小さな町の小人数の短歌会に2首読んでほぼ満足していました。
所が、友人に誘われ、大手新聞社のカルチャースクールに入会しました。
それを2年半ほど続け、何の選択も無しにある結社に入会しました。
最初は結社誌を購読するだけと思っていたのですが、
なんと、ある撰者の方の欄に詠草を送り始めました。そして半年が
過ぎています。
この歳でどれほどの歌が詠めるか解りませんが、
余りにも変わりつつある世の中の事、大好きなお花の事、等々
婆の目で見た何かを残してみたいと思っています。
子供の頃、良寛研究家だった祖父の部屋が壁も襖も家具も
良寛の詠で埋め尽くされていたのを違う気持ちで振りかえられるかもしれません。
興味が有ったら覗いてみてください。
久しぶりに短歌です。
新雪に身を投げ出して人型を更地となりし生家の庭に添削されて
新雪に身を投げ人型作りおり更地となりし生家の庭にと成りました。
人型を、で切れているので情景が解らないと評されましたが、「投げ出して」と「身を投げ」とどちらが良いでしょうか?
多分、雪国育ちの方ならば、「身を投げ出して」と「身を投げ」の気持ちの違いが解って下さるような気がするのですが・・・・・・・・。
今年はもう桜が満開に近いですが、去年はまだ蕾が固かったような記憶が有るのです。
母が亡くなり一年が過ぎようとしています。 早いものですね。
大分サボって居た短歌の詠草を歌会始を明日に控えて自分の為にUPしておこうと思います。
十月詠草
満開の十月桜の夢を見ぬ明けて義兄の訃報届きぬ
風運ぶ金木犀の香の中に逝きし義兄の遺歌集を読む十一月詠草
「元気よ」と電話に語る義姉の声軒打つ霰の音を交えて
弱りゆく花により来る虫の如北も南も日本を試す十二月詠草
今日に変わらぬ明日と思えど身辺整理す手術前日
たまさかに出会いし友との語らいが互いの距離をぐっと縮める年が改まって、短歌だけではなく俳句、川柳なども積極的に読むように心がけてはいますが、
何時まで経っても自己満足に過ぎません。